結局、その小児科医が言うには、「顔貌や体の特徴からいって、おそらくダウン症でしょう。採血をして検査に出したら確実な事が分かるので、大きい病院に行ってください。」
地元の総合病院に紹介状を書きますので、と二つの病院から二択を迫られた。

家から近い方の病院を選び、二人、個室に戻った。母が待っているが、涙が止まらなかった。

余りに長い時間帰ったこなかった事から、母も何か察していたようだった。ダウン症の疑いがあると言われた・・・と、きっと聞き取りにくいであろう嗚咽と共に話すと、「そうかぁ・・・」と、何度も呟いていた。そして、染色体検査をして明らかな結果が出るまで、今、ここに居る人以外には、何も話さないでおこうと誓った。そして遥斗はこの夜も、やはりミルクを飲まなかった。私の精神状態も考慮して、今夜も遥斗は新生児室に預ける事にした。

次の日から、三度のお食事は、部屋食にしてもらった。みな、ドーナツクッション持参で、ホテルのようなダイニングルームで和気藹々と食べていたが、そんな中に混じれる勇気はなかったし、それ以前に食欲がなかった。

しかし、特別な赤ちゃんが生まれても、出産から退院までのスケジュールは変わらず、ミルクの作りかた講習会や沐浴指導など、強制参加させられた。
沐浴指導では、「実際に赤ちゃんを使ってやってみましょう」と、どの子で試そうか看護婦さんは選んでいた。私は心の中で《絶対・・・この子は選ばれない・・・》と遥斗をみていた。そしてやはり、一番体が大きく元気いっぱいな赤ちゃんが選ばれた。
沐浴の様子というより、その元気な赤ちゃんの姿を、羨む気持ちで私はボーっと見つめていたら段々フラフラしてき出し、目の前が白くなりその場に倒れこんでしまった。
気付いた看護婦さんが私を抱えて、すぐ傍の簡易ベッドに横にならせてくれた。
目は閉じていたが、沐浴が終わったらしい頃、涙が又溢れてきた。

一人の看護婦さんは私の手を握り、泣きじゃくる私を「うん・・・うん・・・頑張ろうね」となだめてくれた。
ふと見上げると、看護婦さんも泣いていた。涙がある程度乾いた頃、産婦人科医がやってきて、こう言った。

「僕の友達に、ダウン症みたいな顔の奴がいて、良く『お前、ダウン症みたいやな〜』って言うてるんや。だから、まだ、ダウン症だとは分からないよ。」

今思えば、驚くほど無責任で、差別も甚だしく、ハラワタが煮え繰り返す想いでいっぱいだが、当時はその言葉さえも藁をもすがる思いだった。

さて、入院生活も中盤を迎え、日中、ベビーワゴンに入ってやって来る遥斗が不憫でならなかった。泣きもしない、赤ちゃんらしくない赤ちゃんは、なかなか自分の子どもであるという実感をもたらしてくれなかった。
でも、泣きはらした私の瞼と同じくらい腫れている遥斗の瞼がたまに開き、曇りのない輝く黒い瞳が見えると、守ってやらねばという思いが少しずつ湧いてきた。