遥斗の場合

 平成13年、4月29日。
小さな産声を上げて、待望の長男の誕生です。初めての子どもということもあり、又、祝日でもあった為、パパの立会いのもと、遥斗がやってきました。

新生児室の前で、ガラス越しにビデオを回していたパパが、そう言えば言ってたっけ。
「うちの子、ベロ(舌)ばっかり出してるで。大丈夫なんかな?泡ふいてて、カエルみたい(笑)」

「赤ちゃんは、そんなもんなの!!」
陣痛が辛かったせいか、ムッとしたっけ。
まさかわが子に障害があるなんて、これっぽちも思ってもみなかった、あの頃。

2日目からの母子同室。遥斗は、おっぱいはおろか、ミルクも飲まない。
そしてほとんど・・・と言っていいほど眠っていた。
隣室からは、元気な赤ちゃんの泣き声。
まだその時も、何も思わなかった。私に似て、おとなしい子なんだと。(笑)
でもあまりにミルクを飲んでくれないので、その晩、看護婦さんが新生児室に遥斗を連れて行ってしまった。しかも黄疸が出始めているらしい。
よろよろと歩いて、新生児室を覗くと、遥斗は婦長さんに抱っこされて、ミルクを飲ませてもらっていた。

か・わ・いぃ〜〜〜♪

翌日、パパと私の母と、部屋で遥斗を囲んでいた。生れてすぐには沐浴してもらえず、昨日、さっぱりしたての髪を手櫛して、一眼レフで撮影大会。

そろそろ帰ろうか・・・と二人が言い出した頃、看護婦さんがやってきた。
「先生が、ちょっとお話があるそうです。お父さんも一緒にどうぞ。」

なんだろうね?なんていいながら、遥斗は母に見てもらい、二人で診察室へ。
そこには、産婦人科医と外来でその日来られていた小児科医が椅子に座って待っていた。

小児科の女医は、私達夫婦の顔をマジマジと見て、そして一言。
「お子さんは、どちらにも似ておりません」

「・・・・・は????」

「ダウン症の疑いがあります」

「・・・ダウン症?」

恥ずかしながら、ダウン症が何であるかは夫婦共、知らなかった。
でも、何か障害があるんだ・・・と、奈落の底に突き落とされた気がした。
パパが泣いていた。
私も、ダウン症が何かはその時まだ分からなかったけど、泣いていた。